2008.08.31

僕の考えた虹伝説Ⅱ

 極北の地に追いやられていたために、回りのあらゆるものを食べて色を吸収出来る能力を得た8人目の虹食い鬼、ノーカラー。風の便りに7人の兄達の死を知り、故郷に戻ってきた彼を出迎えたのは、膨大な色の宝庫、食べ切れないほどのご馳走の山だった。
 ノーカラーは狂喜乱舞して手当たり次第に周りの色を食べまくった。長年食べる色のない世界で飢えに苦しんできた彼の食欲は、すぐに暴走を始めて、押さえ切れなくなった。手に触れるものは何でも口に放り込み、はじけるような赤の味や、ふくよかな緑の味を堪能した。今まで想像も出来なかったような幸福だった。何度頬をつねってみても、夢の中にいるとしか思えなかった。
 周りの色はたちまち食べ尽くされて、なくなった。それでもノーカラーは困るということがなかった。その場の色を食べ尽くしたら、別の場所に移ればいい。世界はどこまでも広く、どこに行っても大量の色が山積みになっていて、おなかがはち切れるくらいに食べることが出来た。そうやって行く先々で色という色を根こそぎ食べ尽くすと、後には灰色の地面だけが残された。
 そうして次々と灰色の地面を広げながら、ノーカラーはどんどん太っていった。お腹の幅が背の高さを超える頃には、歩くのが面倒になってきて、寝転んだままゴロゴロと転がって移動することを覚えた。あらゆる色を手当たり次第に食べ続けたお陰で、白かった体はいつの間にか真っ黒になっていた。しかし、それでも食べるのを止めることはできなかった。
 真っ黒い、山のように大きな球体――それが、今のノーカラーの姿だった。彼は太りすぎて動かせなくなった顔の上で、目玉だけをキョロキョロと動かして、色のかけらを探していた。いまや、周囲は見渡す限り灰色の地面しかなかった。あれほど周りにあふれていた色はどこを見回しても見当たらなくなっていて、お腹を鳴らしながら何日も探し回った挙げ句に、ようやく色あせた葉っぱを一枚手に入れられる、という有様だった。

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PERSONA

 ま、そんな愚痴はさておき、意外にと言っては失礼ですが、巧みな脚本で最近面白いのが『PERSONA -trinity soul-』です。エキセントリックな事象を軸にしていながら、主人公3兄弟の関わり合いなんかがしっかり描かれていて、戦闘シーンなんかよりもずっと面白いと感じます。いや、そもそも戦闘シーン真っ黒でよく見えないし(^_^;)……せっかくペルソナ専門の作監まで立ててるのに、もったいないことです。
 で、そのしっかりした脚本の上で声優さんがまた素敵な演技を聴かせてくれたりすると、私なんかは嬉しくなっちゃうんですよねぇ。幼い頃に双子の妹を亡くしたために心の中に妹の人格を隠している弟、なんて設定だけでも素敵なのに、兄達との会話の中で部分的に妹としてのセリフが混じる、なんて技を仕掛けられたら、ゾクゾクしちゃうじゃないですか。やっぱりこのスタッフ、上手いんですなぁ。これから先が楽しみです。

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違和感

小さな子供たちがTVのお化けに逃げ隠れするのは、ホントに怖いからではなく、ある種の“ごっこ遊び”なのでは?

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絶妙のタイミングとその名誉について

 久しぶりに渡辺香津美のアルバムを全曲流してみたら、またも「こきりこ節」のギタープレイに捕まってしまい、ここ数日無限ループにひたってます。『おやつ2』というアルバムに入っているこの曲はどこかの民謡らしいのですが、女性の歌声の他はアコースティックギターと2種類の和太鼓にシンバルだけ(だと思う)というシンプルな構成の曲。でも中盤のギタープレイが何ともカッコ良くて、何度聞いてもシビれてしまいます。ううー、素敵過ぎる…。

 しかし何度も聴いていると、だんだん別の音、和太鼓とシンバルの巧みさに耳が引きつけられるようになってきました。この曲のメインの味付けは女性の歌声とギタープレイです。それは間違いない。パーカッションにソロのパートはなく、終始控え目な位置で脇役に徹しているのですが、その脇役ぶりが実に豊かで巧妙なのです。
 もちろん瞬間的にはシンバルの高い強い響きで突き抜ける時もあるのですが、それは低くうねるギタープレイを際立たせるためで、ほとんどは薄い響きや抑えた響きで添え物のサラダのように肉厚の歌とギターを引き立てています。それでいて音が足りなくなりそうなところでは、的確に魅力的な音を入れてくる、この絶妙さはどうでしょう。曲が賑やかに盛り上がってくると、パーカッションも音数を増やして一緒に場を高めて広げていくのですが、一番高いところでは、最後の一発を抑えた響きにして、ギターにスッと場を譲る。全く見事な脇役ぶりで、聴いているとほれぼれしてしまいます。

 そうなると「これは誰がやっているんだろう?」と思うのですが、それがiPodやiTunesでは全く確認出来ないのが残念です。
 音楽配信が普及し始めた時、これで楽曲のメインのアーティストだけでなく、バックで参加しているアーティストや録音スタジオのエンジニアなんかの裏方の人にも陽が当たるようになる!と喜んだものですが、現実にはそんな情報を付加している音楽配信は見当たらず、逆にジャケット裏やライナーノートを目にするきっかけが激減して、ますます裏方さんの存在がユーザーから遠くなることに……。な、なんでなんで? みんな、メインのアーティスト以外にどんな人が音を出してるのか、気にならないの? 逆に言えば、音を作ってる方はそれを“知らせたい”とは思っていないというわけですか? ううーん、確かに私もギターやベースの音だけで誰の演奏か分かったりしないけど、「これは良い!」と思ったら、その人を褒めてあげたいじゃないですか。「次も良い演奏を聴かせてくれよ!」と言ってあげたいじゃないですか。他の人は(音楽業界の人も含めて)そうは思わないのでしょうかねぇ…?

 今、音楽業界はCDが売れなくなって大変らしいですが、その原因の一つには、その辺りも関係しているんじゃないかと、そんなことを考えたりもします。音楽を作るには、

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『カンフーパンダ』も見た。

Inkのアイコンを作ってみる。

 実はドリームワークスの映画をちゃんと見たのは初めてかも…。
 いやしかし、

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轟く雷鳴、嵐をついて

轟く雷鳴、嵐をついて
 うーん、昨晩は東京もひどい雷でしたな。うちは直接の被害はありませんでしたが、帰りの列車に乗り遅れたら、落雷の影響で次の電車が15分待ちになってしまいました。いつもなら5分くらいで次が来るのに。

 そんなことはともかく、雷と言えば、やはりアンモニア合成ですよね!
 窒素は、生物の生命維持に必要不可欠な元素ですが、その昔は、空気中の窒素からアンモニアを作れるのは、マメ科の植物(蓮華草とか)の根に寄生する根粒バクテリアか、雷しかなかったわけですから、大事にしたいものです。だからといって、うちに落雷するのは勘弁して欲しいところですが(^_^;)。

 今では、ドイツの化学者であるフリッツ・ハーバーの開発したアンモニア合成法によって大量のアンモニアを合成できるようになり、それを原料とした化学肥料が普及して、農作物の増産が実現しました。この功績から、後年ハーバーはノーベル化学賞を受賞し、その墓石には“空気からパンを作った男”と刻まれたそうです。しかしその反面、彼は第一次大戦中ドイツ軍に協力して毒ガス兵器を開発した人物でもあり、また彼の開発したツィクロンBはユダヤ人強制収容所でガス殺に用いられ、(彼の親族を含む)大勢の人の命を奪いました。彼自身ユダヤ人であったため、ユダヤ人迫害をますますエスカレートさせてゆくナチスドイツを離れて亡命しますが、行った先でも冷たくされて、けっこう大変な人生だったようです。

 こうしたハーバーの人生を知ると、科学の持つ意味について、あれこれと考えさせられます。特に、戦争の道具として使われた時の科学の有効性は、強力すぎて思わず背筋が寒くなるほどです。
 しかしもっと恐ろしいのは宗教で、例えば、ホロコーストが進行している第二次大戦中、それに対する批判はほとんど出なかった(Wikipedia)というのですから驚きです。戦争中という非常事態の最中ではあれ、人間は宗教が絡むとここまで感覚が麻痺してしまうのかと思うと、つくづく人類は一刻も早く宗教と決別すべきだと思わざるを得ません。

 それにしても、キリスト教に荷担している人達は、ホロコーストにおける自分達の責任をどう考えているのだろう? 過去に長らくキリスト教教会に通ってきましたが、ユダヤ人に対する偏見の要因の一つがキリスト教徒の誤解にあることについての言及は一度も耳にしたことがありません。マザーテレサのことなんか引き合いに出して平和がどうとか言う前に、(今更ですが)ホロコーストの原因となった誤解を生み出したこと、それを放置したことについて謝罪し、二度と他の宗教を攻撃しないと公約することが必要なのではないかと思います。

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2008.08.16

駒ヶ根高原旅行記 06

駒ヶ根高原旅行記 06
 日の出前、朝5時。もっとちゃんと撮りたかったなぁ。

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駒ヶ根高原旅行記 05

駒ヶ根高原旅行記 05
 写真は、ペンションの部屋の窓から見えたお月さま。夕飯は旨かったけど、量が多過ぎて食べ切れませんでした。もたいなや。

 明日は朝4時起きで、5時10分のバスに乗らないと、ロープウェイに乗るのに2時間待ちの行列に並ぶハメになると脅かされてます。帰りも、午前10時半には下りのロープウェイが2時間待ちになってしまうので、お昼までと言わず、8〜9時には下山した方が良いと言われました。実際、上はお昼を待たずにガスで視界が悪くなり、雷や強風があるとロープウェイが止まって、足止めを食らう可能性もあるとのこと。ひどい時には夜中までロープウェイを動かして、上の人を下山させた、ということもあったとかで、なかなか大変な場所のようです。
 しかし眠い。
 美術館では2時間歩きましたし、電車の長旅にも疲れたのでしょう。明日もあるので、もう寝なくては。ていうか、もう起きていられまへん…。

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駒ヶ根高原旅行記 04

駒ヶ根高原旅行記 04
駒ヶ根高原旅行記 04
 昼飯の後はペンション近くの駒ヶ根高原美術館へ。行きたいといったのは母上ですが、現代美術を中心としたなかなかのラインナップで、母上には今一つだった様子(^_^;)。私はあまり好みの作品はなかったのですが、そこそこ楽しめました。それにしても、今をときめく草間弥生(字、合ってる?)の作品がたくさんあって、ちょっと驚きました。どうやらこの地ゆかりの人らしい…。でもこういうキモいのは、私はちょっと(^_^;)。
 逆に思いの他楽しめたのが、別館でやっていた有賀忍という人の展覧会。木彫に着彩した板絵というのが、この人の得意な技法らしく、その中に独特の青を基調にした色彩で神秘的で温かい世界が展開されていました。展示には多数の絵本も含まれていて、なんとこの人、あの『こんな子いるかな』のキャラデと絵本をやってた人だったんですな。なるほどなるほど。
 でも、一番面白かったのは、会場にいたご本人とおぼしきヒゲのおじさん。どこかの女子大で教壇に上がっているとかで、教え子らしき若い女性が次々に現れては、その度に大きな声で歓談を繰り広げる。彼女らに連れられてきた子供たち相手に即席の絵画教室みたいなことをしているらしく、描かせた絵を大きな声で褒めちぎる。その様子が実におおらかで、楽しそうで、部外者ながら、なんか“良いものを見た”感じがしたのでした。うんうん。

 嬉しくなって、思わずカタログを買ってしまいましたが、ついでに見つけた大変素敵な抽象画の画集も一緒に買おうとしたら、それの値段が分からない。レジに持って行けば分かるだろうと思いきや、お店の人も「すみません、すぐ調べますから」とかいって、あちこち電話したりして、店長さんらしき人まで出てきて、なんか大騒ぎに…。3人で「分からない、分からない」って画集をあれこれひっくり返している内に、私がようやく奥付にあるISBNコードを見て、そこに定価が入力されていることを思い出したのです。てか、レジ持ってく前に気付けよ……>自分orz。しかもその値段が4,800円とけっこう高かったのには、内心「しまった!」と思いましたが、もう後戻りはできません。笑顔で現金払いしてきましたよ(;_;)。
 まぁ、画集そのものはとても素敵な出来だったので、良しとしましょう。いつか都心の方でも展覧会してくれるといいなぁ>画集の人。

 写真は美術館近辺の風景。やっぱり田舎は空が高くて素敵ですな。

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2008.08.15

駒ヶ根高原旅行記 03

駒ヶ根高原旅行記 03
 ようやく食べた昼飯は、ご当地の名物というソースカツ丼(何故?)。肉厚で柔らかいカツと下品すぎないソースの組み合わせは確かに旨かったけど、駅前商店街の寂れっぷりにはビビった。ふと見渡すと、真っ昼間の駅前なのに人も車も全然見当たらなくて、思わず“ゴーストタウン”という言葉が頭をよぎる。花月園前みたいに、古くからある個人商店の寄り集まりがそのまま寂れていっているのではなく、数階建てのビルもあって、数年前までそこそこ活気があったと思わせる町並みが寂れていっているところが、何とも不気味。半端に新しいままで色あせた商店建築、ヨーゼフ・ヴォイスの前衛芸術を思わせる、ショーウィンドウの中のかつての新製品たち。広い夏空の下、広場で懸命に支持を訴える政治家の声が、いっそう町の寂漠さをかき立てる。うーん、大丈夫なんだろうか、この町……(^_^;)。
 でも、食べに入った定食屋にはけっこうお客がいて、一安心。壁紙の古さは隠しようもないけど、味は頑張ってる感じでした。ああ、良かった…。

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